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プリンス・ロイヤル(HMS Prince Royal)はイングランド海軍の55門ロイヤル・シップ。ウリッジ工廠でフィニアス・ペット1世により1610年に進水した〔。 1641年、プリンス・ロイヤルはウリッジでピーター・ペットの手により70門艦に再建造される〔。イングランド共和国の時期にはレゾリューション(Resolution)と改名され、第一次英蘭戦争のほとんどの海戦に参加した。レゾリューションは1660年までに80門艦に改装されていた。王政復古とともにプリンス・ロイヤルに艦名を戻し、1663年にはウリッジ工廠でフィニアス・ペット2世により92門1等戦列艦として再建造された〔。 第二次英蘭戦争中の1666年、プリンス・ロイヤルはジョージ・アスキュー提督の旗艦として4日海戦に参加する。だがその3日目にプリンス・ロイヤルは座礁し、オランダの火船に迫られる。すると乗員はパニックに陥り、アスキューはコルネリス・トロンプ提督への降伏を強いられた。その後ミヒール・デ・ロイテル提督はプリンス・ロイヤルの焼却を命じたが、これは捕獲艦が奪還されることを防ぐためのオランダ海軍の一般的な方針である。 ==参加海戦== *ケンティッシュ・ノックの海戦 *ガッバードの海戦 *ローストフトの海戦 *4日海戦 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「プリンス・ロイヤル (戦列艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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